「人に迷惑をかけてはいけない」と考えるトラウマ級の心理
「人に迷惑かけちゃダメ!」日本では子どもに教えることが多いですが、それに対しインドでは 「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」 と教えるそうです。
私自身も、親や学校で「人に迷惑をかけてはいけない」という教育を受けてきたからか、数年前まで「迷惑をかけてはいけない」と思ってしいましたが、
子を授かり育児がはじまると、我が子に「迷惑だからやめなさい」と教えるタイミングや言葉として適切なのか疑問に感じました。
実際には「迷惑よ」と言葉にし、子供に伝える事はありませんでしたが、息子がADHDと診断され小学校での生活を送っていると状況は一変しました。
息子の行動で友人トラブルになると、周りのお母さん方や、先生が「迷惑になるので」と。口をそろえて言うので面を食らいました。
「迷惑です」と直接言われたとき、体を切られたような痛みと悔しさがあり、「人に迷惑かけちゃダメなんだ。息子は迷惑をかけているんだ」と思ってしまったのです。
ずっと自分の中で半信半疑だった言葉を私は息子に言いました。
「人に迷惑かけちゃダメ!」
何かが崩れていくような感覚でした。
でも、息子はADHD。
具体的に伝えなければ息子には伝わりません。
いざ考えてみると、日常で起こる「迷惑」って、何が迷惑なのかは『個々の感覚』だったり『曖昧』なことなのです。
私は無責任な事を息子に言ってしまったと反省しました。
思い返すと、理不尽で曖昧で感覚的な大人が私は大嫌いだったのに…
「ひとさまに迷惑だけはかけないような子になってほしい」なんて言う大人にはなりたくないと思っていたのにな。
数多くの人が、子供の頃、本当は「迷惑」は何が迷惑なのか分かっていなかったんじゃないのかな。
具体的なルールはなく、自分のせいで他人を巻き込んでしまうことは「迷惑」なこと。とすりこまれているのではないでしょうか。
迷惑(めいわく)とは
ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること
「明文化されたルールや法律に違反した」行為
「ルール化されてはいないが、他人に実害が及ぶ」行為
「実害はないが他人に不快感を与える」行為
と定義はされています。
インドでの教えの「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」は、
私も迷惑をかけたり心配をかけるから、だから、あなたもいいんだよ、お互い様なんだよ。大事なのは、迷惑をかけないことではなく、寛容さだと伝えている事をベースにして、本来「明文化されたルールや法律に違反した」「ルール化されてはいないが、他人に実害が及ぶ」「実害はないが他人に不快感を与える」行為にきをつけるべきかと思います。
「迷惑」を伝えるときは「なぜ」も一緒に考え伝える
迷惑って、意味がざっくりとしていて、主語も目的語もなく使われることも多いから、なにが、だれに、どんな問題を起こしているのか説明する必要がない事が多いのです。
そして、常識人ぶるのに便利な言葉だと思います。
暗黙の了解の価値観の中で生きてしまうと思考停止し、本来の自分の考えを持つことも発言することもなくなるでしょう。
「迷惑だから」ではなくて、はっきり苦情を言ったり、具体的に言わないと本来伝わらないと思うのです。
「迷惑をかけてもいい」と伝えられる言葉がけ
他人に迷惑をかけたくなくても、状況によっては、迷惑を掛けざるをえなくなることもあります。
特に自分の制御できない要因で、迷惑を掛けてしまう事もあるでしょう。
背中をおしてくれる言葉があります。
お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う。
人間はいるだけでお互いに迷惑です。お互いに迷惑をかけあって生きています。
おかげさんでないものは、この世に一つもありません。みんな、おかげさんで成り立っているんです。
相田みつお
「迷惑をかけたくない」より「迷惑をかけながらでしか生きられない」と思い、周りの全てに感謝する。
「人に迷惑をかけない」から. もう一歩進んで、「手を差し伸べる」気持ちが. 愛の実践につながる
渡辺和子
「迷惑をかけちゃいけない」より「どうしたら、自分も楽しくてみんなも楽しいか」を考えて生きた方が楽。周りも楽。
子供の時に、こんな言葉をかけられていたら「迷惑」な大人になってしまうのかな?
目の前にある「迷惑」にとらわれすぎずに、もっと先の「迷惑」を考えられるようになると良いのかなと思います。
誰かに頼ることを感謝して、本来の問題点に向き合える力は、将来、家庭や仕事・人間関係にも通じる大切なことだと考えています。